yanagi & kaz のアレこれブログ
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最近、yanagi は地元、春日井への関心が湧いている。
小学生の頃から、古墳、土器、埴輪などが出土している土地である事は知っていた。
少し北へ上ると、岐阜県瑞浪市は化石が有名な場所であり、この春日井市も海面下であったり、海岸であった事も子供ながらに知っていた。
小野道風という有名な書師の生誕地であることは、内外共に認める史実である。
しかし、yanagi が今回、非常に深く思い入れながら動かされているのは、幼少の頃の地元の風景が蘇えったからである。
詳細は、今後連載の形で書きたいと思っていますが、本日はまず、下(した)街道に注目します。
「この道はむか~しからある、ふる~い道なんだよ」と、大人から聞いていた。
最近になるまで、全く興味は無く、関係の無い道路だった。
しかし、ネットで地元の歴史、文化、暮らし、変化、など様々な情報を取り入れ始めると、たちどころに虜になってしまった。
そう...回想し始めたからです。
小学生時代の校区内の記憶から、中学校区へと広がり、自転車で走りながら見た風景を思い出す...
そこで、運動を兼ねて散歩してみた。
まず、春日井市の入り口である勝川橋から柏井までの数キロメートルは、国道のルート変更や区画整理などで消えてしまっているので、後回しにします。
上の地図画の赤線のルートを歩いてみました。 その感想です。
月見町へ入ると、古い家屋や塀、そして地蔵や石灯などが現れました。
記憶では、もっと沢山の木造家屋が建ち並んでいた事を思い出します。
当時の新しい家々は文化住宅と呼ばれ、セメントを多用した小さな2階建てだったので、戦前から残る大きな家(庭の広い塀のある屋敷)は貫禄があった。
県道25号線と交差します。
この県道は4車線の幹線道路で、中学生の頃は、春日井最大の繁華街でした。
交差点にある食器屋さん(おおさわ器店)は小学生の頃からある。凄いことだね。
一番の思い出は、今は無き早川レコード店でエレキギターを買ったことですね。
郷土舘の辺りが一番雰囲気を残してる(保存されている)と感じました。
多くは商店です。家屋は必然的に裏通りを入った奥に建てられている。
昭和23年頃から "四九の市"(4と9のつく日に市を出す) が行われています。
中学の頃にウロウロしました。もちろん、勝川駅前の "二七の市" も同様です。
この本通り商店街の肉屋さんのコロッケの味は、今も覚えています。(散歩は夜だったので現役かどうかは不明)
篠木郵便局のところで、県道508号線と合流します。(旧国道19号線)
この、斜めの路地が旧い街道だ、と中学生の頃から知っていたのはなぞである。
その頃から高齢者が「かいどう」と呼んでいたからだろうか。
そして、篠木小学校と東部中学校を過ぎて北へ横切ります。
この細い道路は、ほとんど通った記憶がありませんでした。なので、興味津々でした。
てっきり県道に沿って出川(てがわ)町へ進んで、中部大学の下を抜け、坂下へ通ずると思っていましたから...
ところが、違っていたんですね~ へえ~。 ...と、本日はここまで。
*この下街道に関する情報は数多くあります。
個人、グループによる写真やレポート、春日井市の公式サイトなどで確かめられます。
yanagi もそれらのデータを閲覧し、楽しみ、驚き、感動し、懐かしんでいます。
小学生の頃から、古墳、土器、埴輪などが出土している土地である事は知っていた。
少し北へ上ると、岐阜県瑞浪市は化石が有名な場所であり、この春日井市も海面下であったり、海岸であった事も子供ながらに知っていた。
小野道風という有名な書師の生誕地であることは、内外共に認める史実である。
しかし、yanagi が今回、非常に深く思い入れながら動かされているのは、幼少の頃の地元の風景が蘇えったからである。
詳細は、今後連載の形で書きたいと思っていますが、本日はまず、下(した)街道に注目します。
「この道はむか~しからある、ふる~い道なんだよ」と、大人から聞いていた。
最近になるまで、全く興味は無く、関係の無い道路だった。
しかし、ネットで地元の歴史、文化、暮らし、変化、など様々な情報を取り入れ始めると、たちどころに虜になってしまった。
そう...回想し始めたからです。
小学生時代の校区内の記憶から、中学校区へと広がり、自転車で走りながら見た風景を思い出す...
そこで、運動を兼ねて散歩してみた。
まず、春日井市の入り口である勝川橋から柏井までの数キロメートルは、国道のルート変更や区画整理などで消えてしまっているので、後回しにします。
上の地図画の赤線のルートを歩いてみました。 その感想です。
月見町へ入ると、古い家屋や塀、そして地蔵や石灯などが現れました。
記憶では、もっと沢山の木造家屋が建ち並んでいた事を思い出します。
当時の新しい家々は文化住宅と呼ばれ、セメントを多用した小さな2階建てだったので、戦前から残る大きな家(庭の広い塀のある屋敷)は貫禄があった。
県道25号線と交差します。
この県道は4車線の幹線道路で、中学生の頃は、春日井最大の繁華街でした。
交差点にある食器屋さん(おおさわ器店)は小学生の頃からある。凄いことだね。
一番の思い出は、今は無き早川レコード店でエレキギターを買ったことですね。
郷土舘の辺りが一番雰囲気を残してる(保存されている)と感じました。
多くは商店です。家屋は必然的に裏通りを入った奥に建てられている。
昭和23年頃から "四九の市"(4と9のつく日に市を出す) が行われています。
中学の頃にウロウロしました。もちろん、勝川駅前の "二七の市" も同様です。
この本通り商店街の肉屋さんのコロッケの味は、今も覚えています。(散歩は夜だったので現役かどうかは不明)
篠木郵便局のところで、県道508号線と合流します。(旧国道19号線)
この、斜めの路地が旧い街道だ、と中学生の頃から知っていたのはなぞである。
その頃から高齢者が「かいどう」と呼んでいたからだろうか。
そして、篠木小学校と東部中学校を過ぎて北へ横切ります。
この細い道路は、ほとんど通った記憶がありませんでした。なので、興味津々でした。
てっきり県道に沿って出川(てがわ)町へ進んで、中部大学の下を抜け、坂下へ通ずると思っていましたから...
ところが、違っていたんですね~ へえ~。 ...と、本日はここまで。
*この下街道に関する情報は数多くあります。
個人、グループによる写真やレポート、春日井市の公式サイトなどで確かめられます。
yanagi もそれらのデータを閲覧し、楽しみ、驚き、感動し、懐かしんでいます。
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プロフィール
ハンドルネーム:
yanagi
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/06/26
職業:
さとう式整体師
趣味:
浜省&自作の弾き語り&食べ歩き
自己紹介:
日常の出来事を写真やコメントで紹介。
外食先の店の情報や買い物レビューあり。
旅行や公園散歩での写真撮影が好き。
健康には興味があり、自然も大好き。
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